百万本のバラ

5月からレコーディングしていました「アスカ」さんのアルバムですが、9月にCDとして全国発売されます。それと同時に配信もすることとなりました。CD販売はアスカさんサイドの取扱いとなりますが、配信はこちらでさせて頂くこととなりました。

 

全12曲、そのうち間奏曲となるインスト曲は2曲です。配信は9/7の予定です。9月は「ヒビノカケラ」の配信はお休みとします。

今日はその中の1曲「百万本のバラ」をご紹介してみたいとおもいます。

 

ひとりの若者が自分の持っているもの「すべてを売り払い」、そのお金で「百万本のバラ」を買い、好きな女性に送ります。しかし女性は贈り主が誰か気がつきません。という一見、ロマンティックな歌ですがボクにはどうも合点がいかない歌です。

 

まずこの若者は画家です。「表現者」であるにもかかわらず、金でものをいわそうとしています。持っているものすべてを売ったということは、自分の道具も売ったということです。彼は「画描き=表現者」ですよね。なぜ絵を描かんかったん?もしボクがこの画家ならこの世のものと思えないくらい美しい彼女の絵を描きます。否、描かずにはいられないでしょう。百万本のバラも及ばないくらいの絵を描くのです。

 

百万本のバラを買って贈るという行為は、表現の手段を持たない「金でものをいわす」タイプの人間のすることですよね。早い話。「金があればできる」事です。だから合点がいかないのです。

 

そこで違う観点から見てみます。

 I beg your pardon excuse me frog sweet cute funny

自分も含め「表現者」というものは、強い「エゴ」の部分があります。だから表現し続けるわけですが、画家の青年は「描く」という表現方法を自分自身の「エゴ」と強く感じたのかもしれません。

エゴ」を捨て去り、純粋なこの想いを伝えるには、すべてを投げ出して「バラ」を贈るしかない、と感じたのかもしれません。この青年は財産と一緒に「エゴ」を捨てているので、この恋が成就するとは思っていませんし、望んでもいないのでしょう。

 

この歌が長く愛され続ける理由は、

ありえないくらいに「純粋な恋」の物語だからでしょう。

 

自分を消し去りながらも思いを解き放つ。

無でありながらも有であり、有であるようで無。

まさに般若心経のようです。

 

凡人のボクには到底理解しがたい恋愛です。けれど、凡人なりにアレンジをしてみました。

 

この曲は軽快なりズムにのった明るい感じのものが多いのですが、リズミカルな中にも暗い悲劇を思わせるようにしてみました。唄を歌っているアスカさんは「かたりべ」であり、この曲に登場する女性です。そして、サクスフォンは青年です。最後はひとり取り残されます。しかし、純粋で美しく幸せです。

 

最後に、



もし、この青年が「天才画家」でこの女性との恋を成就させていたら、いつまでも歌い継がれる歌にはなりませんね。そういうことで、この曲を作った人は見事な「表現者」(もしくはマーケッター?)ですかね。

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